疲れるから、飯は美味いんだ。

人間って、飯がうまくなる為に働いていると言っても、言い過ぎじゃないって話。

世の中には「楽して稼ぐ、不労所得、宝くじ一等三億円!」みたいな言葉があって、それを羨む人もいる。

そりゃ~何もしないでお金が入れば安心かもしれない。

だけど、何もせず、疲れもしていないのに、飯がうまく感じる事は、まずありえないと僕は思う。

飯が美味しく感じない状態=生きた心地がしていない状態であり
逆に、飯が美味しく感じる状態=生きた心地がしている状態だと言える

「疲れて、飯を食う。」

毎日変わり映えしない営みかもしれないが

人間の本質的な幸せは、文明の栄えた今も、原始時代も
変わらず、この何気ない営みにあるんだと僕は確信している

・・・

話は変わりますが、先日久しぶりに登山をしてきました。

登山と言っても、一時間程度で登れる山なのですが、ここ最近運動不足な為結構きつかったです(汗)

汗だくになり、心臓を鼓動させ、息は上がり、重たくなった足を一歩一歩持ち上げようやく山頂へ。

しばらく山頂から絶景を眺めながら休憩した後、米を炊いて、カレーを作って食べました。

山道具で簡易的に作るカレーだから、お世辞にも、手の込んだカレーとは言えない。

雑に野菜を炒め、煮込んで、ルーをぶち込んだだけのカレー。
ついでに肉も忘れていたので、肉無しカレーとなった。

そんな即席カレーだったけど、一口食べた瞬間

「うん!!!これは美味しい!!!!」

と目を見開いて、あまりの美味しさに何度も「うまいうまい!」と言ってしまうほどおいしかった。

味自体はたぶん、普通のカレーだ。それは自分でも分かっていた。
けれども、それがより一層美味しく感じられたのは

“体に染みた”からだと思う。

疲れるまで体を動かして、自分の体力が無くなり、栄養を欲した体に、一口のカレーが入ってくる。体が喜ぶ食事とはこういうことだ。

体が喜ぶから、心も喜ぶ。

山で作った即席カレーは、あまりの美味しさにイッキ食いだった。

これがきっと、一日ダラダラ過ごして、疲れていない状態だったら、ここまで美味しく食べられなかっただろう。

毎日楽して、毎日高級なもの食べる。それは確かに、舌は美味いかもしれないけど

疲れた時のカレーのように体に染みる感覚は味わえない。

すなわち、人間は

頑張って疲れて、食って回復する

この原始時代から変わっていない単純なルーティーンに喜びを感じる生き物なのである。

だからこそ、毎日疲れるまで動いて、働いて、一生懸命生きるべきだと僕は思う。

そしたら、単純に飯が美味く感じて、たかが夕食かもしれないが、大きな幸福を感じれるから。

さあ!今日も頑張って子育てして、家事して、ギター練習して、仕事して、ブログも書いた!

美味い飯でも食べるとしよう!

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