見栄張りな自分から、緩くなる。

僕は見栄張りです。

見栄張り癖がある。

すぐカッコよく見せようとか

上手に見せようとかするタイプ。

それはそれで、よかった時もあった。

でも大人になるにつれて、だんだんとその

”見栄張り癖”

が生きづらさに繋がっている気がした。

そう思い、自分の中で、i見栄張り癖を見直し、少しずつ改善していった。

見栄張り癖が完全になくなったわけじゃないけど、少し緩和される考え方を見つけたので、書いてみました。

男は見栄を張ることも大切!?

スクールカーストや部活動等、日々上下関係で生きてきた男という生き物は、見栄を張って生き延びてきた部分は大いにあると思う。

学生服をだらしなく着こなしたり、バイクを乗り回したり….そんな小手先の技で、少しでも強く見せようとしてきた。

だって、なめられたら使いっパシリにされたり、馬鹿にされてプライドをへし折られるかもしれないから。

世の中には「突っ張ることが男のたった一つの勲章」

なんて歌詞があるくらいだ

そう、男にとって、見栄を張ることは生き抜く術の一つなんだと思う。僕は自然とそうやって育ってきたし、見栄を張らないと負けると思ってきた。

負けたらアカン!そう思って生きてきた。

 

が、しかし、、

 

果たしてそれは、「楽しかった」のだろうか??

そこに「自分が求める楽しさ」はあったのだろうか??

「見栄を張る」

という行動が本当にそこまで大切だったのだろうか?

大人になった僕は、どことなく疑問を感じ。むしろ、”見栄を張る”という行為に生きづらさを感じていた。

 

音楽でも見栄を張る癖

僕は、ギタリストなので、ギターを弾く、SNSに演奏動画を垂れ流す事もある。

しかし、ここでいつも

”見栄を張る”

という行動がついつい出てしまう。
もはやこれは癖になってしまっている….

上手に思われたい!下手くそと思われちゃいけない!なめられたらアカン!完璧なものを撮らなければならない!

そんな思いが頭をよぎり、せっかく楽しく撮り始めた演奏動画なのに、気が付けば、何度も何度も撮り直し、時間ばかりが過ぎ、自分の下手さ加減にも嫌気がさし、だんだん憂鬱になってくる。

あ~~、、、一体俺は、誰のために、何のために演奏動画を撮っているのだろうか…..

毎度やや虚しい気持ちになりながら、せっかく頑張ったので演奏動画をSNSにアップする。

上手と思われたくて撮った演奏動画

”イイね”が伸びるのを勝手に期待すると共に、下手くそと思われることを恐れる。

もう何がしたいんだ!笑

そう、”見栄を張る”ことで結果的に、自分自身を苦しめていたのです。

 

見栄を張る癖が減ったのは、SNSの使い方だった。

自分自身を苦しめている、見栄張り癖
それを解決したのは、SNSの使い方を変える事でした。

今までは、誰かに見せる為の演奏動画でした。
しかし、それを自分の為の演奏動画に変える事にしたのです。

自分の為の動画とは、自分の練習記録用にSNSを利用しようという我ながらNiceアイデア

やり方は簡単

僕はInstagramに動画を上げるのですが

動画アップの際に、何のkeyで弾いたのか?どんな度数進行なのか?という事を書くようにしている。

この内容は特に何でもいいんだけど、自分がどんな練習をしたのか?という事を動画と共に記録していくことにしたのです。

Instagramは、ホーム画面で自分の投稿を一覧として見れる為、復習もしやすい。
また、データもネット上にアップするので、携帯電話の容量も消費しない。

なにより、どんなことを弾いたか?というのが残せるのがいい。

今まで、ギターの練習をして、録音したり、撮影したりしてたけど

一体なんの練習をやったのか?何を弾いたのか?が分からない事が多かったんです。

しかし、このSNSにアップする方法をやれば、練習の効率も上がることに気づきました。

そして、、、動画を上げるたびに気づいてきたのですが、、、

「いつの間にか見栄張り癖が減っていた」

そう、誰かに見せようとしない。
自分の為に撮ったものだから、別に上手じゃなくていいし、間違えてもいい。

つまり、見栄を張る必要性が低くなってきたのです。

 

自分への集中が足りていなかった。

今まで、誰かに見せよう!認められよう!と

外に向けられていた意識が、自分自身へ向くことにより、見栄を張ろう!という意識が薄れていったのかもしれません。

つまり、演奏やライブ等、何かをする時にどうしても、誰かにみせようという意識は働く。
だって、見せているんだから(笑)

しかし、その意識を向ける比率が

「他人80:自分20」

になると、辛くなってしまう

「他人20:自分80」

くらいが丁度いい心地よさがあるのかもしれない。

何かをやるときは、他人からどうこう思われるという事を意識がする故に見栄を張るという気持ちがでる。

でも、これは仕方ない事だ。

理由は、冒頭にも述べたが、そうやって生きる術を培ってきたから。

しかし、そう気づいた瞬間瞬間に

「自分の為にやれること、自分が楽しめるやり方はないか??」

と自分へと意識を向けるだけで、新しいアイデアや発見がさらに生まれてくるかも。

その繰り返しで、「見栄張り癖」というものが少しずつ薄くなっていくのかもしれません。

見栄張り癖が減れば減るほど、もっと活動が気楽で楽しくなる気がします。

現に僕自身、SNSを利用する際に、楽な気持に鳴れたので。

見栄を張ってて、苦しい、人からの評価を気にしすぎる時は

「自分の為にやれること、自分自身が楽しめるやり方は何かな?」

と模索してみるのもいいかもしれません。

ではでは。

 

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